1、リッツ

 王国歴一五三四年一月二日。
 それは俺にとってはいつもと同じ朝で、いつもとは違った朝だった。いつもと同じとは、いつも通りエドと一緒に酔いつぶれてエドの部屋に転がり込んでソファーに転がって寝ているところで、いつもと違うのは自分の立場だ。
 昨日俺は正式に、騎士団第三隊の見習いになったのだ。何かに所属するという経験がないから、騎士団員という肩書きには何となく違和感があるし、嬉しいようなくすぐったさもある。ぼそりとそれをパティにこぼしたら『確かに所属していると言うよりは、あなた、飼われているわね』とあっさり切り捨てられた。
 失礼な。俺はエドに飼われているんじゃない、友達だから同等だ。そりゃあ確かにエドに拾われたし、エドのことは好きだが、エドの立場を知る前も知ってからも、一度もエドにかしずいたことなんてない。
 それはさておき、朝から夕方まで一応の決まりと形式に乗っ取り、騎士団入団の儀式なんかをやらされたり、いろいろな支給品を受け取ったり、騎士の心構えなるものをおっさんから訓示されたりなどした。形式って奴は時間がかかるし面倒くさい。無くても良いのにとこぼすと、エドには肩をすくめて『お前らしいがな』とため息をつかれ、パティには『少しは騎士団としてふさわしく振る舞いなさい』と怒られる始末だ。
 でも第三隊長のマルヴィルおじさんからすれば、俺の肩書きは形式上で、立場はあくまでもエドの友達でいいらしい。それならそれで気が楽だ。騎士団の立場を優先して、エドから離れるのはちょっと寂しい。
 半分寝ぼけた頭で、昨日正式に手渡された騎士団員を示す、チェーンの通された鋼のプレートを眺めようと胸元に手を入れる。馬や武器、防具、制服は放しておいてもいいが、これだけは絶対に身につけるようにと指定された物だ。これがあれば、戦場で例え首ナシ遺体になっても誰だか分かるそうだ。首が取れたら上から落ちるんじゃねえか? と少し思ったけどさすがに口には出せなかった。だってそんなの縁起でもないじゃんか。
 首ナシ死体にはなりたくないが、おっさんの言うことには一理あるから、だらしなくてすぐに物をなくす俺だけど、これだけは大切に取っておこうと思っているのである。
「ん?」
 胸元に手をやったが、金属のプレートが手に触れない。
「んん?」
 慌てて首を撫でてみるが、鎖の感触はない。一気に目が覚めた。慌てて立ち上がり、飲みに行ったままの服のポケットを探る。腰、胸、内側まで徹底的に探したが、どこにもない。部屋の入り口の防寒具のポケットをひっくり返し、騎士団で支給された剣を吊る太いベルトと小さな鞄をあさってもやっぱり何も入っていない。
「……やばい……」
 血の気の下がる音を自分で聞いたような気がする。あちこちを漁っていた自分の手がかすかに震えているのに気がついた。騎士団の身分証代わりのそれは、入団が決まった者のために、職人によって一つ一つ手作りされた代物で、この国にたった一つしかないオリジナルだ。それががどれほど大切なものであるかは、昨日嫌と言うほどおっさんにたたき込まれているのだから、半ばパニックだ。
「やばい……やばい……」
 ぶつぶつ言いながら、必死に頭の中で自分の行動をトレースしてみた。意味もなく部屋の中をぐるぐる回る。
「ええっと、ええっと……」
 騎士団見習いの式を終えた後、騎士団長や騎士団の面々と手合わせをして、夕方過ぎにエドがお祝いだと歓楽街に連れて行ってくれた。久しぶりにローズの店に行って、ローズにも食事をおごって貰って、それから安めの酒場を何件かはしごした。前に娼館で空しかった話をしたからなのか、この日のエドはそういう店ではなく、騎士団員がちょこちょこ立ち寄る、色々な飲み屋を紹介して回ってくれたのだ。
「どうしたリッツ。冬眠前の熊みたいに、でかい図体でうろうろと」
 唐突に聞こえたエドの声にはじかれたように振り返る。寝起きのいいエドがベットで身を起こしていた。欠伸をかみ殺しているエドの髪はもつれて寝癖が付いたままだ。空いた手でエドが髪を軽くかき上げると、そこから綺麗に整う。俺とは違って柔らかいから、すぐに寝癖が直って便利で羨ましい。
 って違う、そんなことを羨ましがっている場合じゃない。
 俺と同じく酔ったまま寝入ったエドのシャツは上のボタンが開いたままはだけている、そこから騎士団の身分証をつり下げている鎖が見えた。
 本当は国王の息子であるエドだって、こうしてちゃんと騎士団の身分証は肌身離さず身につけているのだ。それなのに、もらって一日で無くしたなんて……。
「エド……俺……どうしよう!」
 思わずベットに勢いよく飛び乗ると、エドの胸ぐらを掴んでいた。飛び退こうとして逃げ遅れたエドがため息混じりに見上げてきた。水色の瞳がかすかに不機嫌そうに細められる。
「何だ何だ、朝っぱらから。殴り合いでも始める気か? それなら寝起きでも容赦しないぞ」
「んなわけねえじゃんか!」
「じゃあ何で俺に掴みかかってるんだ!」
「何でって、だって俺、騎士団の身分証無くしたんだよ!」
 至近距離からじっとエドを見つめると、細められていた瞳がみるみる丸くなる。しばし無言でお互いに見つめ合った後、エドが額に手を当てて、呆れ果てたようにため息をついた。
「お前……昨日の今日だぞ?」
「だから焦ってんじゃんか! どうしようエド、俺クビ? 騎士団クビかな!?」
 必死で言ったのだが、エドは大きくため息をついて首を振った。
「そんなことぐらいではクビにならないさ。でもなぁリッツ……あれは一点物だって言ったよな?」
「……うん」
「制作に二週間かかるのも教えたよな?」
「うん……」
 落ち込んだ俺は、エドの襟首を掴んだままがっくりとうなだれる。
「俺、クビかなぁ……」
「だからお前はクビにならないっていってるだろう。そもそもお前の騎士団入団は便宜的なものなんだから。ただ、まあ……ジェラルドとマルヴィルにはきついお仕置きをされるだろうな」
 淡々と言われると、本当にそうなることをひしひしと感じる。
「どうしよう……エド」
 間近でじっと見つめると、エドの手が俺の頭に乗った。そのままため息混じりにぽんぽんと叩かれる。それだけで少し安心するのが、俺がみんなにエドの犬扱いされるゆえんなんだろう。でも、すぐにパニックに陥って、その後精神状態がどん底に陥ってしまう俺の場合はありがたい。
「とりあえず探すしかないだろう」
「うん。今日は休みだよな?」
「ああ」
 騎士団見習いの入団式を終えて、今日一日グレインに滞在したのち、ティルスに帰ることになっていた。だから俺たちは今日、休みを貰っていた。エド曰く、あまりグレインにこれなくて遊ぶところがない俺とエドへの配慮なんだそうだ。
 第三隊の本拠地はティルスだから、明日ティルスに帰ったら騎士団員たちに正式に紹介をしてくれるんだそうだ。
 それなのに、早速身分証をなくすとは……。
「とりあえず朝飯前に探しに出よう。お前が身分証を下げていない事がばれたら手間だ」
 ため息混じりのエドに首をかしげる。
「何でさ? 服の中にあるんだから関係なくないか?」
「……あのなぁリッツ。通常はそうかもしれないが、お前は絶対に挙動不審になるぞ。そうなればジェラルドに不審がられるし、何よりも一番そういう変化に聡いパティに気付かれる」
「あ……」
「どうしたんだリッツ、とジェラルドに聞かれて切り抜けられるお前だとは思えない」
「うう……」
 その通りだ。たぶん俺は動揺しまくってぼろを出して、気がつくと洗いざらいしゃべらされて、説教を食らっていそうだ。
「分かったらさっさと出かけるぞ。とりあえずこの手を放せ」
 言われて初めてまだ俺の手がエドの襟元を掴んだままだったことに気がつく。慌てて手を放すと、同時にベットから飛び降りた。ようやく俺から解放されたエドがため息混じりにベットから立ち上がった。しわだらけになったシャツを脱ぎ捨てて部屋の片隅に置かれていた洗濯篭に投げ込む。
 そのシャツに何となく目を向けると、目立たない裾の所に、小さくエドの名前が刺繍されている。実を言うと俺のシャツにも自分の名前が刺繍されていたりする。これはこのモーガン邸に自分の部屋がない俺がエドの部屋に一緒にいるから洗濯物が混じらないようにと、この家のメイドさんたちがせっせと繕ってくれたものだ。
 それ以外にもちょこちょこ色々なものを無くさないように、エドは律儀に記銘する。笑えることにエドが記銘するのは自分の名ではなく、俺の名前だ。つまり俺がよく物を無くすから、エドが俺のものに勝手に名前を書いていたりするのだ。その扱いはまるで近所のガキ共のようだと抗議したことだってある。それでも俺は物を無くす。だから『言ったことか』とエドにも説教を食らうのだ。
 そんな俺が今回無くしたのは……身分証。これほど名前がちゃんと入っているものはないだろうに。
「お前という奴は……。これはこうしてちゃんと下げておくもんだぞ?」
 ため息混じりのエドが着替えのシャツを手にしたまま、空いている左手で鎖にひょいっと指を入れて自分の身分証を軽く持ち上げて俺に見せた。そりゃあエドは整理整頓が得意だし、しっかりしているからいいさ。俺と来たらまるでそういうことに向いてない。
 口を尖らせてむくれながらエドの胸元に光る身分証に目を遣った瞬間、それに釘付けになった。吸い寄せられるようにエドの胸元に光るその身分証の金属板を見つめてしまう。
「どうかしたか?」
 眉を軽くひそめたエドに歩み寄り、至近距離からじっと身分証を確認した。あまりにまじまじと見つめている俺に、エドが首をかしげる。
「何だ?」
「う〜ん?」
 そこに書かれているのは本来『グレイン騎士団第三隊所属 エドワード・バルディア』であるはずなのに、幾度見直してみてもそこにあるのはエドの名前じゃない。
「……エド……」
「? 何だ?」
「いつからリッツ・アルスターになったの?」
「……何のことだ?」
 思い切り不審そうに眉をひそめたエドだけど、俺はそれを無視して身分証をつついた。
「だってそれ……俺のだよ?」
「……何?」
 一瞬だけ惚けたエドが焦って鎖を外す。そこには間違いなく『第三騎士団所属 リッツ・アルスター』と書かれている。元々は字が読めなかった俺だけど、今はちゃんと読めるから間違いない。まじまじと身分証を手にとって眺め、裏返して眺めてから小さく呟いた。
「……本当だ。どこで入れ替わったんだ?」
「……どこだろう……」
 今度はエドの血の気が引く番だった。もともと王国北部特有の色素の薄い血を引くエドは、日に焼けていない素肌などはものすごく白い。だから日に焼けてはいるが元々白い顔は、みるみる青ざめていく。
「エド……」
 こんなエドを見た事がないから、俺の方が動揺してオロオロとエドの顔を見たり身分証を見たりしていると、ため息混じりにエドが自分の首に掛かっていた俺の身分証を外して、首に手を回して付けてくれた。
「これはお前が付けておけ。いいな、外すなよ? お前は絶対になくすからな」
「うん、絶対に外さない!」
「……無くした俺が言うのも説得力がないが……」
「エド〜」
 思い切り落ち込んだエドに、俺はオロオロとエドの周りを歩き回る。
「リッツ」
「何?」
「……一緒に身分証を探してくれないか?」
 遠慮がちなエドの言葉に俺は力強く頷いた。
「当たり前じゃんか! すぐ着替えるから行こう」
「お前をさんざん馬鹿扱いしたのに、悪いな」
 珍しく下からの物言いに、思い切り動揺する。エドがこういう風に自信なげにしているのを見るのは二回目だ。この間エドは自分の出自を話してくれたときにこんな顔をしていたのだ。それを思い出すと落ち着かない。
「落ち込むなよ! 絶対見つかるって! どうしてもみつかんなかったら、俺がふざけてお前の無くしたっておっさんに申告するから! たぶん俺が何かしてると思うからさ! 絶対そうだよ、うん、だからエドは悪くないって!」
 必死でそう言うと、エドが吹き出した。
「何でお前が、そんなに必死に俺を庇うんだか」
「だ、だって……落ち込むエドなんて……エドらしくねえもん」
 いつも笑顔で、ちょっと皮肉めいた顔をしてからかっていてくれないと、どうしたらいいか分からなくなる。俯いて黙った俺の頭にエドは笑いながら手を乗せた。
「分かった。落ち込むのはやめる。すぐに探しに出よう」
 いつもの力ある声に、安心して力一杯頷く。
「おう!」
 部屋の隅に放り出されたままの鞄からあたらしいシャツと、村のおばさんが編んでくれたセーターを取り出して着替えていると、背中でぽつりとエドが呟いた。
「ありがとうな、リッツ」
「うん。今日の飯、エドのおごりね」
「……それが目当てか」
 苦笑するエドの声を聞きながら、支度を調える。セーターの上に、厚手のフェルトコートを羽織った。これはジェラルドから贈られたものだ。軍用にも使われるような丈夫なコートでとても暖かい。そこに騎士団支給のベルトを着けて、剣を吊す。
 それからちょっと編み目の粗いマフラーをくるりと巻き付ける。視線を向けると、色違いのおそろいのマフラーをエドが巻いたところだった。
 このマフラーはパティが編んで、新祭月のお祝いにと俺たちにくれたものだ。全く同じデザインの色違いには理由がある。一生懸命メイド頭に編み物を習ったパティが何とか編めるようになったちょっとした模様編みはこれだけなのだそうだ。
 すっかり支度を調えて部屋を出た俺たちは、あまり人に見られないように足音を忍ばせて館の出口に向かう。護衛がいる館だから誰にも見つからずに出かけるのは絶対に不可能ではあるのだが、それでもおっさんやパティやアルバートにみつかったら手間だ。
 俺には何かを聞かれて誤魔化すようなことは一切できない。ただただうろたえるだけだ。
 何とか無事に館の玄関ホールにたどり着いた俺たちは、そっと館の扉を押し開けた。冷え切った冷気が扉から流れ込んでくる。扉を開けきったところで俺は固まってしまった。隣にいるエドも同様に固まる。
「……こんな時間からどこに行くのよ」
 なんと扉の外にパティがいたのだ。
「ぱ、ぱ、パティ!」
 動揺しまくる俺に、パティがアメジスト色の瞳を細めた。
「……何か悪巧みをしているのね?」
「ち、違うよ! してないよ!」
 慌てて子供のような口調で思わず言い訳すると、アメジストの瞳が更に細められた。
「ふうん……で、本当は?」
「あ、あう、あう……」
 言葉が出ない俺は、意味のない言葉を口にする。この状況を何とかしてくれたのは当然エドだった。
「朝食を食べてくるよ、パティ」
 落ち着き払った口調で、穏やかにエドがパティにそう告げた。思い切り迷いのない笑顔と、嘘のないエドの表情に舌を巻く。この顔は俺にとっては不思議な顔なのだが、俺以外のみんなはこれがエドの普通だと思っている節がある。
「……朝食を? 何故外で?」
 それでも不審そうな表情を崩さないパティの前で、エドの腕が俺の肩に乗った。ぐっと腕に力を込めて引き寄せられて、エドにもたれるように寄りかかる。エドは平然と空いていた方の手の人指し指で、俺の頬をぐりぐりとえぐる。痛いけど、意味が分からないから文句の言いようが無くて、俺はされるがままになっているしかない。
「こいつは夜のグレインしか知らないからな。朝市で歩きながら朝食を食わせてやりたいんだ。たまには健全なグレインを見せておきたい」
「ふうん……」
 全く納得していないのか、パティの目はエドじゃなくて俺を見ている。俺がぼろを出すと言うことぐらい、パティだって承知の上だ。
「すまないが、みんなにそう伝えてくれないか? 今日は夕食までには戻るから」
 優しく伝えられた兄としてのエドの言葉に、立場上は妹のような存在であるパティは、深々とため息をついた。
「分かったわよ、エディ。そこまで言うなら私も信じたふりをするしかないわ」
「はは。ありがとう」
 ということは、全く信じてくれないみたいだ。でもパティはエドを絶対に信用しているから、無断外出も認めるらしい。これが俺なら絶対に吐くまでいたぶられるに違いない。
「それじゃあ行ってくるよ」
 穏やかに笑みを浮かべて扉を出ようとしたエドと肩を抱かれたままの俺がパティとすれ違う時、パティはにっこりと笑顔を浮かべた。
「お土産話、楽しみにしてるわ、エディ、リッツ」
 一瞬エドの頬が引きつったのは見間違いじゃないはずだ。エドはなんだかんだいっても、パティに敵わないことぐらいちゃんと知っている。何か大変なことが起きて俺たちが慌てていることなんて、きっとパティからはお見通しだ。
 多少の問題があったが、こうして俺たちはパティという難所をすり抜けて、グレインの街へ繰り出したのだった。
 
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